ダリオ・トナーニの部屋

イタリアのSF作家ダリオ・トナーニを紹介する特設ページです。

『モンド9』について

『モンド9』「訳者あとがき」から抜粋

 

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 世界のSFといえば質的にも量的にも英米が中心であることは否定できないが、作品の質や面白さについては日本のSFも決して引けは取らないし、実はイタリアのSFだって負けていない。それなのにイタリアSFの邦訳出版数はごくわずか。そんな現状を少しでもなんとかできないかと、これまで古典作品のエミリオ・サルガーリ著『二十一世紀の驚異』、九十年代のルカ・マサーリ著『時鐘の翼』と訳してきた。そして今回、このダリオ・トナーニ著『モンド9』を紹介できたことは喜ばしい限り。二〇一二年末に刊行され、すでにイタリア国内のSF賞であるイタリア賞とカシオペア賞を受賞した『モンド9』は、まさにイタリアSFの今を代表する作品と言えるだろう。

 まだ本文を読んでいない方のために簡単に内容を紹介しておこう。舞台は「世界‐9」(モンドノーヴェ)と呼ばれる惑星。物語の大半が砂漠で展開されるが、雨も雪も降り、海も山も氷塊もある。砂漠の砂は有毒で、体内に取り込んでしまうと体が蝕まれていく。そんな世界で繰り広げられる四篇の連作。さらにはその合間に「間奏」と題された掌篇がいくつか挟まれて、各篇をつなげたり、作品世界を広げたりしている。

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 まずは最初のCardanica。大きな車輪を備えた巨大船〈ロブレド〉が蒸気を吐きながら砂漠を進んでいく。だが突然の座礁により、艦長ガッラスコと副長ヴィクトルは、緊急脱出艇にもなる「継手タイヤ」に乗って脱出(〈ロブレド〉のタイヤとジョイント部が母船から分離し、脱出艇に変形するのだ)。外は毒の砂の世界。一番近くの港にたどり着くまで脱出艇から外に出ることは物理的に不可能。どのくらい時間がかかるのかも不明。独特の機械工学の産物である継手タイヤは謎が多く、その中でいつ終わるとも知れない監禁状態におかれた二人は、悪夢のような体験をすることになる。

 この章は、すべての始まりだ。連作化する前に単発の短篇として最初に書かれたのがこのCardanica である。砂漠、タイヤ付きの船、独特の機械工学、人間と機械の関係、金属、歯車、滑車、ねじ、ボルト、配管、油、錆、蒸気、そして血と肉……。くすんだ色調と、それと対照的な血の色が印象的な、ホラー風味の入ったスチームパンクSFと言える。

 残りの章は、読者の楽しみを奪わないようにごく簡単に紹介しておこう。第二章Robredo は巨大な残骸の側で、砂漠の毒に侵されながら暮らす父と息子の物語。残骸に巣を作っている巨大な鳥の餌を奪い取って日々の食料にしている二人。ある日、残骸の上で父が拾ってきた奇妙な卵。そして突然降り始めた雨。二人の運命は大きく変わる。

 

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 第三章Chatarra は海上に浮かぶ、破棄された船の残骸が積み重なってできた島へ向かう〈毒使い〉の姉と弟の物語。二人の任務は毒を注射した生餌を使い、まだ生きている船を殺すこと。身体を金属化させる謎の〈疫病〉に気をつけながら、二人は廃物の島〈チャタッラ〉の奥へ小舟で向かっていく。

 第四章Afritania は、砂漠を行く超巨大な船であり移動する都市でもある〈アフリタニア〉に乗っている一人の男の物語。この章は本書のクライマックスであり、とある登場人物が再び登場する。モンドノーヴェにおける船と鳥と金属と人間の、神秘的とも言える謎めいた驚愕の関係がついに明らかにされる。

 そして迎えるエピローグ……。

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 砂の惑星と言えばフランク・ハーバートデューン』だし、移動する都市/船は近年ではフィリップ・リーヴ『移動都市』にも登場する。狂った機械といえばA・C・クラーク『二〇〇一年宇宙の旅』でもお馴染みのもの。そして、次々に出てくる滑車、歯車、配管、継手、そして蒸気、まさにスチームパンクの要素が山盛り。設定のいくつかの要素を抜き出してみれば、特に目新しいというわけではない。だがそんなことはまったく問題にはならない。著者トナーニはそうした馴染みの素材を使いながらも、それに独自の要素を加えつつ、独自の方法で料理し、圧倒的なオリジナリティと強烈なイマジネーションに満ち溢れた、実にすさまじい物語を作り上げている。

 四つの各章で登場人物を替えながら、いきなり核心部を見せることなく、少しずつゆっくりとモンドノーヴェの姿が明かされていく流れは味わい深い。人間と機械、肉と金属、血とオイル、生と死、対立するものの境界が侵犯されていくフェティッシュとも言える愉楽は、まさしくトナーニ作品の真骨頂だと思う。謎の惑星モンドノーヴェ、その過酷な環境に生きる者たち、謎めいた技術によって作り上げられた金属や機械、奇妙な動植物、鳥と卵と機械の共生、さらには生と死と肉体と魂と金属の秘めたる関係には詩的で宗教的な雰囲気も漂う……いや、あまり多くは語らないでおこう。ともかく、この驚くべき小説世界をぜひ堪能していただきたい。また、日誌やノートに書かれた文章、または会話の記録が頻繁に挿入される独特の構成にも注目してみると面白いだろう。「書(描)かれたもの」へのトナーニの眼差しには何か特別なものが感じられる(それは本書だけではなく、他の作品、例えばInfect@ L'algoritmo bianco にも見られるものだ)。

(以下略)